インドの鉱工業


電気工学科2年 奥 村 幹 雄

 --鉱 業--
 インドには工業化のための資源が豊富に存在している。資源の調査はまだまだ十分に行われてい
ないが、鉄鉱石の既存量は世界全体の4分の1、石炭の埋蔵量は1,000億tを越えるといわれてお
り、石油価格の高騰によって石炭の価値が見直されている現在、それは特に貴重なものとなってい
る。他に、ボーキサイト、石灰石、トリウム、チタソ、雲母、クロム鉱なども多く、マソガン鉱の
埋蔵量は世界第3位といわれている。しかし、鉛、亜鉛、鋼、スズ、タソグステソ、ニッケル、イ
オウなどはあまり賦存しない。
 ○石 炭
 先に述べたように埋蔵量は莫大であり、その8割以上がビハール州と西ベソガル州で産し、ゴソ
ドワナ期の良質の炭田が集中している.炭鉱の雇用労働者数は40万人に達している。工業化の進行
とともに増大する石炭需要はほぼ満たされてきたが、産業界はもっと良質の石炭を要求している。
炭鉱は、1971〜73年に国有化され、全国石炭開発会社が管理を担当している。
 ○鉄鉱石
 世界有数の埋蔵量をもつうえに高品質のものが多く(平均62罪以上)、その生産の8割以上が東
部のビハール、オリッサの2州で占められる。生産高は1968年には1950年の水準の4倍に達し
たが、これは国内需要の急増を反映すると同時に、海外とくに日本向け輸出の拡大を示すものであ
る。
 ○マンガン鉱
 過去70年以上インドは世界の主要なマンガソ鉱産出国であった。しかし、国内需要は小さく、鉱
石の大部分が輸出されており、生産高の変動は海外市場の動向に左右されると、言われている。
 ○その他
 雲母は大半が先進国へ輸出されており、ボーキサイトは、埋蔵量が巨大であり生産高
は上昇を続けている。その半分が、アルミ製品になり、国内でよく見かけた多くの食器類となるほ
か化学品、セメントなどを作るのにも用いられ、輸出もされている。
 こうしてみると、鉱物資源がとくに豊富なのは東部地区のビハール、西ベンガル、オリッサ、ア
ッサムの諸州であり、この地方は特に新しい重工業の基地となっており、イソドのルール地方とよ
ばれている。鉱石運搬列車が縦横無尽に走る様子を見ることができるのもこの地である。
 --工 業--
 近世の初期、まだ世界が帆船と水車と手織壊の時代にインドは技術面でも生産面でも中国と並ぷ
一流の工業国であった。特にインド産の織物は東洋の主要貿易品となっていたが、18世紀以来イ
ギリス植民地となり、その綿布をはじめとする先進工業に押されてインドの伝統的工業は急速に衰
えてしまった。
 インドはなお開発途上国とされているが、葵とジュート製品では世界の主要生産国である。派遣
中、隊員全員がイソド製の薬を服用し、その効きめに驚かされたものだ。 また綿織物でも世界一流
である。このほか銑鉄、鉄鋼や、国際的比較の対象にはならないにしても石炭、アルミニウム工業
はイソドにとって重要な意義がある。砂糖、植物油、紙、化学肥料、セメソト、自動車、ソーダ灰、
石油製品などもこの部類に属し、いずれも多くは、第一次五ケ年計画が発足した以後工業として本
格的になったものである。1951年から61年にいたる10年間にイソドの工業生産は約80%の上
昇を示し、その後の8年間にさらに70%近く増加したが、国内総生産に占める鉱工業の比重は1968
年においても19%にすぎない。東南アジアで最も発達した工業をもつインドも工業化の度合はまだ
低い.独立後の開発計画は弱体な基礎重工業部門の育成に重点をおき、これが近代的大企業の急速
な成長をもたらしたが、インド工業の大きな部分が依然として手織機、手工芸、網織、コヤール
(ヤシ皮繊維)など伝統的技術に頼る小企業、家内工業で占められている。たとえば、イソド国内
で使われるベッド、家具、衣類、靴、さらにはタバコまでも小企業、家内工業で占められているの
だ。これらの小企業に対しても雇用横会の増加、所得造出、農村地区振興といった見地から保護強
化策が実施されて工業化、都市化がもたらす弊害を簾和することが配慮されている。
 新しい工業の大部分はイソドと外国の企業が協力事業として、外国の製造その他の技術を、イン
ド例の資本その他の資源と結びつけたものである。イソド政府は、そうしたイソドと外国企業間の
技術、融資協定を1960年代初めに多数認可したが、その条件としてイソド側が株式の過半数を取
得し、またイソド人を養成して経営や技術面の高い地位につかせるなどの点を定めたものが多い。
 ○鉄鋼業
 製鉄業はかつてイギリスの植民政策により妨げられたが、1911年、ジャムシェドプールで、民
族資本のタタ財閥の手により最初の高炉に火が入れられた。現在粗銅年産200万tの一貫工場に成
長しているが、第二次五ケ年計画期に政府投資によって建設された、ドゥルガプル、ルールケラ、
ビライの三大国営製鉄所により、インド鉄鋼業は飛拝的拡大を遂げた。この三大製鉄所はそれぞれ
イギリス、西ドイツ、ソ連邦の援取と技術によって建設された。ルールケラのコンビナートは、さ
すがにイソド鉄鋼を代表するだけのことはあり、広く巨大で、たち登る排煙は無制限といった感じ
を受けた。
 ○機械工業
 非鉄金属工業部門でも、鋼・鉛・亜鎖の生産は、国内の榛枕工業に向けられている。機械工業は、
鉄鋼部門に対して着実に発展しており、国際市場へも進出できるほど高品質の製品を生産する種々
な部門(自動車・農業機械・モーター・日用品など)を包括するまでに多様化してきた。ただ、高
額なため、一般庶民にはまだ手がとどかない状態である。
 ○繊維工業
 綿織物工業は、インドの近代工業の先駆をなしたものであり、年生産量は、アメリカ合衆国、ソ
連邦に次いで第3位を占める。また従業者数からみても最も重要である。現在ボンベイ地方はなお
全国生産のなかば以上を占めるがその比率は低下しつつある。中には,ヨーロッパやアジアの大企
業に比しても見劣りしない紡績梯械・織機および熟練工を見かける。綿製品は、一般に、高級品で
はないが、耐久性に座れているために国内で多くの需要があり、毛布やマフラーを身につけて歩く
人をよく見かけた。その上大量が輸出されている。インド綿業会社が専門に流通関係を取りあつか
っている。
 ○ジュート工業
 多くの熟練工を擁し、大部分の工場施設は西ベンガル州にある。原料入手難がなお残存するが、
これに対しては、インド=ジュート会社がその軽減をはかっている。
 ○この他、羊毛工業はカンプール、アムリツアールなどに集中し、手織りに従うものもかなりあ
り、カシミールのスリカガル産の伝統的毛織物はほとんど手織である。
 ○小工業
 インドの農村で、小工業として、カルカッタ、デリーでは家具類、ダージリン、バラナシで織物、
ブリーで靴、タバコなど見ることができた。家具類は、製造直売ということで大都市の一角で仕事
を分担された従業員によって作られ、織物、靴、タバコなどは家内工業的な小工業であった。小工
業は、インド経済の不可分の一部をなしている。手織りによる織物も重要で、イソドの綿布生産の
3分の1以上は、これによっている。インドは人口の大部分が依然として農村に住む以上、これら
種々の小工業は重要な位置を占め、農民の雇用と収人の増大をはかるため、小工業の発展には大き
な注意を払っている。
 --労働事情--
 政府の推計によれば、労働者の73%が農業、11%が鉱工業、16%が商業、官公庁その他に従
事している。(1961年)そして、失業者数は増加の一途をたどっており、特に都市での教育を受
けた失業者の増加が憂慮されている。現にブリーの大学生たちは卒業後の職をおおいに気にしてい
た。カルカッタではジュート工場が約2カ月にわたってストライキのため工場が停止していると聞
いた。生活費の上昇が労働者の生活を苦しくし、政治不安もあって労働争議がひん発しているらし
い。工員たちの賃金は、最低で1月給1,000Rs(1US′$=7.27Rs)で、中小工業の職人たち
は1日約25〜30Rsであると開いた。日本の賃金からしてかなり低いはずである。

 インドは、多くの人口をかかえ、近代化をはかるため、工業部門で、政府は公共部門の体質改善
と生産性向上および私的部門の振興にカを注いでいる。そして労働者を守るためにも、保護的な関
税障壁を設ける必要に迫られている。しかしそのために、国民は旧式でいて、高価なものを買わな
ければならないし、政府の保護にあまんじて、企業側は別に新しい技術を取り入れようとはしない。
インドは、もっと世界に目を向け、技術を取り入れ、雇用機会を広げる必要があると思う。そうす
ることが生活を楽にすることだと思う。