インドの交通


電気工学科2年 高 橋 正 樹

 <鉄 道>
 インドの鉄道は、営業キロ6万キロメートル、広軌のレールというのが大まかな特徴である。
さらに詳しく述べれば、主力は、ディーゼル機関車と蒸気機関車である.電車と呼ばれるものは、
ニューデリー駅で止まっているものしか見られなかった。客車は、エアコソクラス、ファーストク
ラス、セカソドクラスに分かれている。そして、クラスの中でも、SLEEPER(寝台車)とS
EATS(いす車)とに分かれている。車両こついて述べれば、1輌1輌が独立していて、動いて
いる時は、他の車両へ移っていくことはできない。窓は、小さくて、鉄格子が付いている。扉は、
手動式で動きだすと客がかぎを閉め、止まると客がかぎを開ける。とにかく装甲車を思い浮かべて
いただけば、よいでしょう。
 キップについては、今日乗るのか、明日以後乗るのかで、窓口がちがう。(1週間〜2週間先の
キップまで買入できる)列車の種類EXP・MAILとORDINARY(急行と普通)によって
窓口がちがう.最後に、ファーストクラス、セカソドクラスによっても窓口がちがっている.
 駅については、大きなターミナル駅は、城のように大きく、威厳があり、やはり宗教国である。
しかし、普通の駅は、プラットホームだけとか、プラットホームさえない駅もいくつかあった。ど
の駅でも、ティーショップと待合室のようなものがあった。さらに、プラットホームまでは、出入
が自由なようなので、チャーイ(ミルクティー)売り子やモンボリ(ピーナッツ)売り子、しかめ
っ面をした警備兵、両手と顔に荷物をかかえたポーター等が、忙しそうに右に左に走り回っていた。
その中でも、イソドならではの人が車両に乗ってくることがある。車内そうじ人である。
イソドでは、ゴミをそのまま床に落としてしまう習慣があるので、それをそうじするのである。も
ちろん、客が、いっぱいいる中で行ない、有料であった。
 イソドの列車は、1〜2時間遅れるのは、あたりまえだと、ガイドブック等に書いてあった。し
かし、実際には、ほとんど正確な時間どおりに動いていた。その上、車内は、いつも混み合ってい
て、席取りのすさまじさは、文章にすることはできない。
 イソドの国鉄は、外人に便利なように、インドレイルパスというものを発行している。これは、
一定期間、窓口でキップを買う手間をはぶいてくれるものであるが、外貨で買わなくてはならず、
かなり割高である。我々は、イソドレイルパスを値段の関係から利用しなかった。
 イソドでは、国内全域に鉄道網がひかれている。これは、イギリスの植民地時代に、軍人と食料
と作物を運ぶために、イギリスがひいたものである。しかし、誰がひこうが、現在は、インド人の
手で運営されているのが事実であり、鉄道網を作るという点では、完成されたといっても過言では
ない。あとは、乗りごこちをよくすることなどのサービスとスピードアップだと思われる。しかし
ながら、この発想は極めて日本的発想であるといえる。貧富の差の大きいこの国では、セカソドク
ラスの、のりごこちがわるいのは、当然であり、決してファーストクラスと同じようになっては、
いけないのである。つまり、サービスをよくするということは、貧富の差をなくすということに等
しいのである。また、スピードアップにしても、この国においては、このくらいの速さが、ち上う
どよいと思う。なぜなら、この国のすべてのものが、ガンジス川の流れのように、ゆっくりとゆっ
たりと進んで行くからである。以上のことから、サービス向上とスピードアップという考えは、こ
の国に根づいているものをひっくり返すということにつながると思う。これからのインドの国鉄が、
どうなっていくのか楽しみである。
 最後に付け加えておきたいことが、二点ある。一つは、現在カルカッタでは、地下鉄の工事が行
なわれているということ。二つめは、インドの鉄道は、雨季にも耐えられるように、土もりをした
上に線路をひいているということである。
 <バス・路面電車>
 バスは、路線バスと観光バスに分かれている。
 路線バスは、大都市の市内や近くの地方都市間(200キロ以内)を結んでいる。料金は、鉄道よ
りも、少し割高といった感じである。我々は、大都市の市内の路線バスは、利用できなかった。理
由としては、第一に、バス停がないらしく、信号待ちなどで止まっているバスに乗るなどの危険を
冒さなければならなかった。第二に、人々に大変混み合っていたので、目的地で降りることができ
るか不安だった。第三に、タクシーの方がより高い料金だが便利であった。などの理由である.
 しかし、地方都市を結ぶバスは、利用することができた。理由としては、バス停らしいものがあ
ったということと、始発から終点まで乗るということで、どっかへ連れて行かれるといった心配が
なかったからである。利用した区間としては、シリグリからダージリンまで、7時間、パトナから
ガヤまで、3時間、ラックノウからカンプールまで、4時間などである。道が悪いのか、バスが悪
いのか、運転が荒いのか、上下に激しく括れた。
 近い都市の移動ならば、鉄道でも、バスでも、どちらでもかまわないと思うが、バスの方が多く
でているので利用しやすいのではないかと自分は思う。
 一方、観光バスは、カルカッタの市内観光と、アグラを観光したときに利用した。カルカッタの
市内観光は、東京のはとバスを連想していただければよいと思う。アグラを見学した時は、片道2
00キロという長い距准を日帰りした。バスの種類も、路線バスとは違い、リクライニソグシートバ
スやビデオバス等があった。我々は、ビデオバスに乗った。ビデオバスとは、バスの中にビデオが
あり、映画(白黒のヒンディー映画)を流していた。
 路面電車は、カルカッタの町では、バスと並んで、庶民に利用されていて、いつも混み合ってい
た。また、我々は、よくひき殺されそうになった。
 しかしながら、カルカッタの町の地下鉄が完成した時、路面電車やパスはどうなってしまうのか。
地下鉄の料金が安ければ、路面電車やバスの規模は、小さくなっていくものと思われるが、料金が
高ければ、今のままの状態が続くと思う。地下鉄の完成は、まだまだ遠い先の話である
 <タクシー、リクシャー>
 タクシーは、大都市の中の移動によく使った。自家用車とタクシーの割合が、3対7ぐらいで、
タクシーが多い。けれども、これが午後5時ごろの帰宅ラッシュの時間帯には、すべてのタクシー
に客が乗っているという状態になるのだから、驚嘆である.タクシーの料金は、バスや路面電車に
較べれば、大変高いので、みんなの足というよりは、中産階級の乗り物であるといえる。(高い階
級者は、自家用車)
 リクシャーについては、まず分類から始めなくてはならない。手で引っぱるリクシャー、いわゆ
るリクシャー、自転車に乗り場をつけた、サイクルリクシャー、オートバイに乗り場をつけた、オ
−トリクシャ一等である。
 大都市では、オートリクシャーが中心で、町を見わたせば、オートリクシャーとタクシーと歩い
ている人とバスしか見ることができないなんてことが起きる。とにかく小回りがきいて、料金が安
いというのが、タクシーやバスや路面電車に騒遂されずに共存できた原因と思われる。
 地方都市となると話が、少々変って、サイクルリクシャーが中心となって、町の交通網を作って
いる。(サイクルリクシャー、リクシャーの料金は、1キロ走って2ルピーぐらいである。1ルピ
−は23円である)
 バスは、TATAという会社のバスでだいたい統一されていて、革も、アンバサダールという、
事で、統一されていた。
 <航 空>
 我々は、国内線の飛行横を利用しなかったので、どんな感じなのか、たしかめられなかったが、
4大都市(デリー、ポソペイ、カルカッタ、マドラス)間は、便数も多いので、利用者も多いと思
われる。しかし、料金が大変高いので、高い階級の人のみが利用できるようになっている。飛行機
が庶民の生活の一部になるには、時間がかかりそうである。
 <海 路>
 我々は、北部の内陸部を中心に、巡ったので、海路については、たしかめられなかった。
 ガソジス河で、小舟が、こっちの岸と向う岸を、行ったり来たりしている姿は、ユーモラスでJ
る.また、ガソジス河には、河を横切るフェリーが、動いているようである。
 <道 路>
 道路も、インド全域に、広がっている。舗装もかなり行われている。さらに標識などもかなり立
てられていて、完成の域に達しつつあると思う。
 <町の雰囲気>
 カルカッタの町を除けば、人は、右側を通行し、車は、左側を通行していた。けれども残念なが
ら、カルカッタの町では、車も人も牛も路面電車もバスも、道にごちゃごちゃと走り、歩いていた。
 また、車は、ウインカーなどはあっても使わず、クラクショソと、強引さで、曲ってゆく。この
話は、インドの町すべてに言える。また、セソターラインのかわりに、ドラムカソを使っている所
もあった。とにかく、一般大衆は、自分の足で歩く、または、自転車を利用するということである。
 交通に関していえば、インドは、発達していると思う。ただ気になることは、人の生命を軽く扱
っているという感じを強く受けたことと、交通道徳が、よくないということである。